2010年8月21日土曜日

身体の治癒作用に見るDNA遺伝子の修復過程

DNAの二重構造が破壊された後に起きる修復の過程を身体の治癒作用に見ることができる。
例えば切り傷を負った場合、傷口から血液が流れ出るのを防ぐために、血液中の血小板が傷口に集まり穴を塞ごうとする。
皮膚の表面で穴を塞ぐための凝固が行われると、内部では細胞再生の修復が始まる。
つまり、内部を守るために必要な要素が集められ、通常の形態が変化するのである。

実は同じことが、DNAのトランスフォーム(変形)の時に起こっていると考えられる。
「変形」と言っても、ただ形態が変わるだけではなく、ちゃんと理由があるようである。
外部からの衝撃で破損した部分の遺伝子は、この時内部へと組み込まれ、その衝撃に対する強さを持つ遺伝子が表に現れるといった具合だ。
つまり、傷ついた遺伝子は内部へ格納され、それを守るための遺伝子が盾となるために表に終結するのだ。

この時の精神状態は、衝撃を受けた心の傷を隠し、外見を安定させようとする。
外見を安定さるためには、過去において同じような衝撃に耐えた遺伝子が使われるようだ。
不幸にもそのような耐久性を持つ遺伝子を有していなかった場合は、精神不安定が長く続いてしまうことになる。
そのままにしておくと、精神破壊が起こる可能性が高くなるので、できるだけストレスを避けられる環境を作らなければならない。

またDNAの変形は、外部からの衝撃などに関わらず、日常的なシチュエーションで常に変化しているようだ。
例えば、仕事をしてる時と、余興にふけっている時では、DNAの形態が違っている。
あるいは、親密な関係を持っている相手と話す時と、初対面の相手と話す時でも違う。
こういう場合の変形は小さいものになるが、人は日々変形を繰り返していると思われる。
「臨機応変」という言葉があるが、いろんな場合に対処できる人は、この変形が速やかに起こっている。
逆に「臨機応変」に対処できない人は、この変形が起こりにくい状態であると言えるだろう。

DNA内で起こる変形の比喩

人間の遺伝子レベルで行われる驚異的な変形の仕組みをある作品を通して見ることができる。
まったくこの通りというわけではないが、目に見えない部分のことであるだけに、この作品を観ることで想像と理解が進むのではないだろうか。

その作品は、マイケル・ベイ監督、スティーブン・スピルバーグ制作総指揮の映画「トランスフォーマー」である。
もう観られた方も多いだろう。
この映画の中では、「transformation(変形)」をロボット生命体を使って表現している。
作品の中で最大約2万個以上の部品が複雑に動いて「変形」していくシーンは、観る者を圧巻させる。
その複雑な仕組みは、まさにそのDNA内の遺伝子が修復されていく過程を描いているのである。

この作品のソフト版キャッチコピーは「地球の危機を救ったのは、少年の勇気と、変形する愛車だった・・・。」である。
この「愛車」というのは、人間の肉体を示しており、その体内で起こる「transformation(変形)」がDNA内での遺伝子における修復変形を意味している。
つまり、この作品の主人公が持つ愛車の変形では、前回解説した「人間により良い影響を及ぼす遺伝」の割合が増えた例だと言えよう。

逆に敵側の「ディセプティコン(反逆者の意)」は、「人間に悪い影響を及ぼす遺伝」の割合が増えた状態を示している。
つまりこの作品は、遺伝子DNA二重らせん構造内の変形がもたらす人間の性質変化で、善と悪に分かれた人間同士の戦いを描いているのである。

現代人のDNA形状とその影響

現代における人間のDNAはどのような状態に置かれているのだろうか。
この疑問に対する答えは、現代人が日常的にどのような状態にあるかを考えれば仮説として浮かび上がってくる。
大概の人は、激しいストレスに脅かされ、あるいは強いフラストレーションの圧迫に耐えている状態にあるだろう。
世の中の流れや仕組みが、人間に多大な圧力を掛けていることは理解できる。
その場合、DNAはそのストレスや圧力の影響で、部分的に破壊されていると思われる。
しかし、そのままの状態にあるわけではなく、時に応じて修復が行われているので、見た目での変化を確認するのは難しいかもしれない。
それでも初めの状態にはほど遠い形に変形しているはずである。
恐らく、二重らせんの片方の要素の割合が多くなっているのではないだろうか。
前回にも説明したが、破壊されていない部分が修復に使われたからだ。

ここで、精神的な性質と共に、DNAのレールが短くなったことで寿命も変化し短縮していると考えられる。
いわゆる都会に住み日常的にストレスを浴びている人より、田舎のストレスが少ない生活をしている人の方が長寿なのはこのせいだろう。
あるいは健康的な食生活がDNAの修復に貢献しているからかもしれない。

急に生活を変えることは、大変なエネルギーを使ってしまうので、簡単にできることではないが、長い目で見れば、ストレスを軽減させるような生活にする方が、人間としての自然な状態を維持できることは確かである。

しかし、現代を悲観的に見ているわけではない。
破壊されたDNAがその人にとって必要でないものであれば、むしろ良い場合がある。
遺伝として受け継いだものに中には、悪影響を及ぼす類のものもあるからだ。
それがその人の思考や行動を決定付ける性質を持っているのであれば、その人生に良い影響を与える遺伝子の割合が多い方がより良い状態を確保できる。
時にストレスが精神を強くすると言われる由縁である。

人間の行動と制御システム

人間は普段から自らの思考に基づいて行動している。
しかしながら、その行動の結果が自らの理想とかけ離れているのはどうしてだろう。
たとえ「遺伝子」による性質の特徴があったにしても、人間は良いと思われる方向に向かうべきなのではないだろうか。

ここで自らの思考が如何にあやふやなものであるということが解る。
その理由は、環境に他ならない。
人間は自らの思考をその環境からの情報を元にしている。
一般的に考えられる環境からの情報は、学校あるいは職場での会話、テレビ放送、インターネット内の記事などであろう。
最近は本を読む人が少なくなり、蓄積される知識は電波で送られてくる一方的な情報が主体になってしまっている。
過去に知識人と呼ばれていた人たちは、自らの疑問を解くために書籍を読み漁り、同種の専門家の戸を叩いたものだ。
だが現代では、テレビやインターネットでたくさんの情報を収集できるようになった。
これが「知識人」の大きな落とし穴になっていることは、周知のことだろう。
それはせっかく集めた情報の真偽を問うための技術、あるいはそういう場が無いことだ。
真偽を明確にしなければ、集めた情報を活かすことができない。
下手をすると、その膨大な情報に振り回されて、事実から遠ざかってしまう恐れがある。
その場合、本道から外れて見当違いな行動を起こすという事態に陥る。

この落とし穴から脱却するために、自らの疑問には自らの五感を使って解明する必要がある。
必ず一つの情報を得た時には、自分でその情報の正当性を確かめなければならないのだ。
簡単に情報を得られる時代だというのに、逆にその情報の真偽を確かめる手間が掛かってしまうという矛盾が起こっている。
しかし、この手間を怠ると「思考制御システム」に捕まってしまうことを忘れないで頂きたい。

他人が同じ遺伝子を持つという可能性

世界の人口は63億とも言われている。
しかし、元を辿ればたった一人の人間から増えていったはずである。
それならば、他人と言えども、どこかに同じ遺伝子を持っていても不思議ではないだろう。
よく「他人のそら似」と言うが、実は似ているということはまったくの他人ではないということなのだ。
過去に複製された遺伝子が別のルートを辿って、そっくりの別人を作り上げることは不可能ではない。

顔が似ていれば、性格もどこか似ているはずである。
つまり、同じ性質の遺伝子を持っている証拠なのだ。
環境が違うために、他人として存在していても、同じ遺伝子を所有している場合、考え方や行動もどこか似たものとなる。

同じ顔の別人と言えば、「ドッペルゲンガー」の話が挙がるが、これは迷信だろう。
恐らく、これは特異な例で、同じ遺伝子を持つ別人の存在は本人の生死を脅かすものではない。
実例があったにしても、驚きのあまりに大きな精神的ショックを受けて死亡に至っただけと思われる。

これとは別に裏の意味もある。
ある人物に成り代わろうとした者に本人が殺された事例を興味本位な話に作り上げた可能性もある。
ここに「ドッペルゲンガー」が邪悪な者としても意味を持つ理由がある。

現在のヒトにおけるDNA二重らせん構造の変貌

このようにヒトが持つ遺伝子の仕組みは、人間の今を明確に描いている。
しかし、この二重らせん構造が破壊された事例を知る人は少ないだろう。
今現在、精神の安定を保てない人に起こっている驚くべき実態がある。

ヒトは父と母の持つ両方の遺伝子を持つのが普通なのだが、時に多大な精神的ダメージを受けると、この二重らせん構造に変化が起こる。
まるで固く繋がれた鎖が引き千切られるように、レールの1本が剥がれ、変形してしまう。
修復を迫られたDNAは、驚異的なスピードでその部分を補おうとする。
その時、ダメージを受けなかったもう片方のレールが使われ、歪ながらも元の形に戻そうとするのだ。
そうなると、その人の性質に変化が起こる。
それは、失われたレール以外の性質が色濃く表に現れると考えられる。

たとえば、こんな人は周りにいないだろうか。
とても辛い経験をした後、前とその人の性格が変わってしまったようなこと。
恐らく、以前の性質のバランスが崩れ、別の形を取ることで再度バランスを保とうとした結果、少し違った性質が現れてきたのではないだろうか。

実は私も同じような経験がある。
精神的なショックを受けた後の自分の性質が、以前と大きく変わっているのに気づいた。
男性の持つ強さのような性質が濃くなり、以前持っていた優しい性質が消えかかっていたのだ。
修復は時間を経て行われ、現在は元に戻っている。

更に別の側面が見えてきた。
父と母の性質を両方兼ね備えているはずが、父方の性質と違うものを自分の中に見つけたのだ。
確かに親族からは誰にも似ていないと言われてきた。
そこであることに気づく。
どうやら実父と思っていた人は、実父ではないのではないか。
過去の出来事の中に、思い当たる節が次々と浮かび上がる。
人間とは面白いもので、いくら隠そうとしても遺伝子などの情報を分析すれば、必ず事実が判明する。

連綿と現在まで受け継がれてきた遺伝子が、その人の性質と歴史を不思議と偽り無く映し出すである。

遺伝子の構造と人間の性質における考察

「遺伝子」とは、遺伝情報の最小単位と捉えられている。
一人の人間の性質は、この「遺伝子」による情報によって構成されていると言えるだろう。
このことで重要な役割を担っているのが「DNA」だ。
「DNA」は何故二重らせん構造になっているのか、考えたことがあるだろうか。
遺伝という原始レベルに置き換えると、意外とシンプルな答えに到達する。
つまり、父と母の遺伝を受け継いだ子という形態が、まさにその二重らせん構造を物語っているのだ。
「DNA」の図形を辞典などで見たことがあるだろう。
あの二本のレールのような線は、二つの性質が結合すると、一つに混ざるのではなく、二つの性質を同時に持つということなのだ。
その連鎖が「DNA」であり、それを一つの大きな形にしたものが「染色体」なのである。
「染色体」には、X状のものとY状のものがある。
ヒトの性染色体では、女性はXが2つ、男性はXとYが一つずつの組み合わせになっている。
このことで解ることが一つある。
X染色体は、女性にも男性にも含まれていることから、原始レベルにおける基礎とも言うべき性質を持っていると思われる。
つまり、ヒトの元祖は女性の性質を持っていたことになる。
「アダムとイブ」の話と食い違うが、実際には女性から男性が生まれてきていると考えた方が理に適っている。
大まかに言えば、男性の性を決定付けるY染色体は、基礎となるX染色体の性質から生殖機能を取り除いた性質を持つということになるのだろう。